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第14回特集:江戸時代の養老と介護 Part1

江戸時代の養老と介護

遥か昔の江戸時代、日本では年老いた人たちのケアをどのように行っていたのでしょうか? 介護保険や専門施設などもない時代、介護の現場は「家」であり、介護の主役は「家族」でした。幕府・各藩の政策や褒賞制度などで厚く保障された江戸時代の養老・介護の歴史を紹介します。

定年なんて関係ナシ? 老いても盛んだった江戸時代の人たち

70歳にして人は老いる ~武士の定年

大岡忠相

時代劇『大岡越前』の
モデルとなった大岡忠相。

江戸時代、原則武士には定年制度がありませんでした。各藩によって基準は異なるものの、病気が理由の場合は40歳以上、老年が理由の場合は70歳以上で、本人の申し出があって初めて隠匿(引退)が認められるのが一般的でした。この背景には大陸から伝わった儒教の教えが根付いており、古代中国の経書『礼記』に記された「七十を老といい、而して伝う」、つまりこの年齢になって初めて老いと認められるわけで、70歳以上で引退、後継者へ道を譲ることが慣例となっていたようです。

逆に70歳を過ぎてまで公務に没頭するケースも見受けられました。TBS系時代劇『大岡越前』のモデルとなった大岡 忠相 ただすけ を例に挙げると、江戸町奉行から三河国の大名に昇進したのが72歳。その後75歳で病没する直前まで現役の大名として公務にあたっていました。もっとも忠相は、時の将軍徳川吉宗から多大な信頼を受けており、大名まで出世を遂げたのは将軍の権力も大いに関係していたと見られています。忠相も晩年は病気がたたりいくつかの公務を降りていますが、将軍の期待を背負っている以上簡単に引退できるはずもなく、もしかしたら半ば強制的に「生涯現役」を強いられていたのかもしれません。

サラリーマンEDO

黒船襲来危機で一気に下がった“定年”

ところがペリー来航で幕府存続に危機感を感じた江戸幕府は、1862年に「軍制改革」を実行し、軍備強化のために抜本的な若返り策を図ることになりました。具体的には高齢で実質勤務が無理とされる役人には、在役のまま隠居を許可する「 乍勤 つとめながら 隠居」を断行し、この結果武士の定年は一気に50歳まで引き下げられました。

約250年もの間、鎖国により戦争とは無縁の平和な世界に慣れきってしまった日本人ですが、この非常事態のしわ寄せを最も受けたのが、働き盛りのシニア武士たちだったのかもしれません。

Column

“平均寿命40年”は真っ赤なウソ。意外と長寿だった江戸時代の人たち

「昔の人=短命」。そんなイメージを持っているのではないか。確かに現代と比べ医療技術が乏しく、十分な栄養摂取もままならない時代であったことは間違いない。しかし昔は生まれてすぐまたは生後1年以内に死んでしまう乳児の数が非常に多く、また飢饉や疫病で大量に死者が出た年などもあり、平均寿命はこれらの数字も含まれてカウントされているため数字上短命になっているだけなのだ。

当時の記録を見ると、元気に暮らす80~90代の高齢者も多く、中には100歳超えも見受けられる。こういった高齢者やその家族たちは各国の領主からさまざまな褒賞を下賜されていたが、このことについては以下に詳しく述べる。

高齢者とその家族に贈られたさまざまな褒賞

身分の垣根を超えて長寿を祝う習慣が根付く

江戸時代は長寿を祝う儀式が庶民の間でも根付いてきた時代でもあります。各国の藩主たちは領民に対し、節目の年(61歳還暦、77歳喜寿など)に金銀や食料品を贈与したり、宴会を催し酒とともに長寿を祝う儀式なども行っていました。

介護にあたる家族に贈られた「善行褒賞」

上記のような年齢を対象とした褒賞が推し進められる中、高齢者を見守り、日々の養護にあたる家族にもさまざまな褒賞(善行褒賞)がなされるようになっていきました。18世紀の江戸では幕府による善行褒賞が盛んに行われ、その対象は血のつながった家族に限らず、養子や奉公人が褒賞されるケースも見られました。実際江戸での高齢者褒賞の対象は90歳以上とハードルが高かったのですが、善行褒賞の場合、被介護者の年齢は不問だったため、高齢者褒賞よりもはるかに多い数の善行褒賞が下賜されました。

善行褒賞者を記録した『官刻孝議録』の1ページ(野中信子氏蔵・埼玉県立文書館寄託)。受賞者の名前、年齢、身分などが記されている。

以上紹介したように、幕府・各藩とも高齢者とその家族を手厚く加護することを政策として進めてきましたが、その背景には「目上の人間を敬う」精神を徹底して庶民に啓蒙することで、領土内の秩序を維持しようとする意図があったと考えられます。少々言い方が悪いかもしれませんが、政治の安定のため、士分自らが懐柔策を取ったということでしょう。

江戸時代に暮らす人々の様子をまとめた書物の中に、いくつか介護について触れている作品もあります。1820年に発行された『武州川越善行録』(栗原満啓著)よりその事例をご紹介します。

介護と褒賞の事例1

農民の彦右衛門は夫婦と娘2人で、病床に伏す両親とおじ2人の介護にあたっていました。仕事と介護に忙殺される彦右衛門でしたが、ワガママ盛りの娘を決して叱ることはありませんでした。ある者がそのことを訪ねると、「祖父母は孫を寵愛しており、少しでも叱れば心情に触れるのではないか」とあくまで両親のことを第一に考えていたのです。そんな彦右衛門の優しさが実り1711年に褒賞を受けました。

介護と褒賞の事例2

母を亡くし病気がちな父を養うために15歳の若さで丁稚奉公に出た仁助。父の容態を憂うあまり、毎日のように奉公先から父の元へ通い続けていました。ある日父が「砂糖を食べたい」と仁助に漏らしたのですが、買うお金がない仁助は仕方なく自分のたばこケースを売り払い、そのお金で砂糖菓子を買い父の元へ届けました。やがて父は亡くなりましたが、仁助の純粋さに多くの人が感化され、1801年に褒賞を受けました。

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