トップページ > 現場で使える!今昔百科事典 第10回

現場で使える!今昔百科事典

歴史、文化、流行などを今に紹介する「今昔百科事典」。現場で利用者たちとの共通の話題づくりに役立ててほしい

東京オリンピック ―1964年―

東京オリンピックイメージ

今からちょうど50年前の1964年(昭和39)10月10日、オリンピックが初めて日本で開催されました。高度経済成長の真っただ中での開催であり、日本が国際社会の一員として再び世界に認められ、先進国の仲間入りを印象付けた大会となりました。今回はその東京五輪で輝かしい成績を収めた競技・選手にスポットを当ててみます。

Keyword

圧倒的な強さを誇った“東洋の魔女”(女子バレーボール)

「東洋の魔女」東京オリンピック女子バレーボールチーム

貫録を見せつけ文句なしの金メダル。東洋の魔女が“世界の魔女”になった瞬間だった。

日本はこの大会、16個の金メダルを獲得しましたが、最もインパクトを残したうちのひとつが女子バレーボールの活躍でしょう。

女子バレーボールチームは、当時圧倒的強さを誇った社会人チーム「日紡貝塚」(後のユニチカ、現在の東レ・アローズ)のメンバーを中心に結成され、五輪以前の欧州遠征の試合でも全勝を果たすなどまさに万全を期したチームでした。この活躍を旧ソ連のメディアが「東洋の魔法使い」と報じたことが名前の由来となっています。

迎えた東京五輪では計5戦5勝で落としたセットはたった1つだけ。決勝で当たった強豪旧ソ連もフルセットで下し、まさに圧巻の金メダルでした。この時のTV視聴率は85%と驚異的な数値を叩き出しました。また彼女たちの活躍により『アタックNo.1』といったバレーボール漫画も生まれたことも見逃せません。

History

栄光、直後の挫折。悲劇のランナーたち(男子陸上 マラソン)

アベベ・ビキラ(エチオピア)

裸足の英雄アベベ。ローマ五輪では靴が壊れたため急きょ裸足で走ったが、東京五輪ではちゃんと靴は履いていた。

マラソン競技で最も注目を集めたのはアベベ・ビキラ(エチオピア)でしょう。前大会のローマ五輪で同国に初の金メダルをもたらしたアベベは東京五輪でもその力を見せつけ2大会連続の金メダル。その姿から“走る哲人”“裸足の英雄”と賞賛されました。しかしその5年後、自動車事故で下半身不随となりランナー生命を断たれてしまいます。それでもパラリンピックで監督を務めるなどスポーツへの意欲は失われませんでした。ところが1973年(昭和48)、心臓麻痺(事故の後遺症が原因といわれる)のため41歳の若さでこの世を去りました。

一方日本人では円谷幸吉が大活躍。アベベのゴール後、2位で国立競技場に姿を見せた円谷に観衆は割れんばかりの大声援を送ります。しかしゴールまであと200mというところでイギリスのヒートリーに抜かれ第3位でフィニッシュ。しかし次回メキシコ五輪での金メダルへの期待や腰痛の悪化、プライベート面の問題などもあり、1968年(昭和43)、カミソリで頸動脈を切り自殺。27歳の若さでした。遺書に残された「疲れきって、もう走れません」という言葉に日本中が深い悲しみに包まれました。

Trivia

数字で見る東京五輪

・5,152

参加した選手の総数です。2012年のロンドン五輪(1万931名)と比べると半数以下の選手数ですが、まだ参加国と競技種目が少なかったためです。

・10/10

東京五輪が開催された日です。この日を記念して、10月10日は“体育の日”として祝日になりました。また統計学上、10月10日は晴天が多いことから開会日に選ばれたそうです。

・29

日本が獲得したメダルの総数です。内訳は金16個、銀5個、銅8個で、獲得総数は参加国中第4位。金メダルだけならアメリカ、旧ソ連に次ぐ3番目の多さです。日本はレスリング、体操、柔道での獲得がほとんどで、バレーボール以外では全員男子種目が獲得しています。

・1兆1千億

東京五輪に投入された資金の総計金額(円)です。五輪開幕に合わせた交通インフラ設備の費用も含まれ、開幕直前に東海道新幹線(東京―新大阪)や名神高速道路がなどが開業しています。1964年は日本がより“近くなった”年とも言えます。