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現場で使える!今昔百科事典

歴史、文化、流行などを今に紹介する「今昔百科事典」。現場で利用者たちとの共通の話題づくりに役立ててほしい

日本サッカーの歩み

サッカーイメージ

いよいよ待ちに待ったサッカー・ワールドカップが開催! 連日の深夜・早朝TV観戦で眠い目をこすりながら仕事に向かうなんて人も多いことでしょう。日本は1998年のフランス大会以来、5大会連続での出場となりますが、常連国となるまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。今回は日本におけるサッカーの歴史を振り返ります。

History

明治初期にイギリス海軍が伝えたサッカー

日本にサッカーが伝わったのは1873年(明治6)。イギリス海軍教官団のダグラス少佐と海軍兵が来日した際、日本人の海軍軍人に訓練の余暇としてサッカーを教えたというのが定説になっています(日本サッカー協会HPより)。その後、高等師範学校のクラブ活動としてサッカー部が普及し全国規模に広がっていきました。1918年には、全国高校サッカー選手権の前身となる「日本フートボール大会」が開催されました。

また当時サッカーは「蹴球(しゅうきゅう)」と呼ぶのが一般的でした。英語が一般に浸透していなかった時代のことですが、今となってはこの言葉を使う人はほとんどいません。また「サッカー(Soccer)」という名称はアメリカ由来の英語で、サッカーの母国イングランドはもちろん世界規模では「フットボール(Football)」の名称の方が一般的です。

History

世界へ大きなインパクトを残したメキシコ五輪銅メダル

釜本邦茂

日本代表の絶対的エースとして君臨した釜本邦茂。

東京オリンピックを控えた1960年(昭和35)、日本サッカー協会は西ドイツ(当時)サッカー協会コーチのデットマール・クラマーをコーチとして招へいすることを決め、代表チームの強化に取り組みました。欧州遠征を終え、その後来日した同氏の厳しい特訓のもと、東京五輪ではベスト8という結果を残しました。

そして次回のメキシコ五輪(1968年)。着実に実力を重ねてきた日本代表チームに新たなスターが誕生します。釜本邦茂。左足から正確かつ強力なシュートを放つエースの登場で、日本は並み居る強豪相手に善戦。準決勝でハンガリーに敗れるものの、3位決定戦で地元メキシコを2-0で下し堂々の第3位。これは過去の五輪の歴史の中で最高成績です。釜本は大会7ゴールで得点王を獲得。キャプテンとしてチームをまとめた八重樫茂生や堅守の守護神・横山謙三、俊足を活かし左サイドからアシストを続けた杉山隆一など各選手の活躍が噛み合っての銅メダル獲得でした。

Keyword

ドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜

岡野雅行

W杯予選プレーオフで、決勝ゴールをあげた岡野雅行。

オリンピックと並ぶサッカーの重大イベント・ワールドカップ。これまでW杯に縁のなかった日本ですが、1993年(平成5)、初出場をかけアジア地区予選の最終戦(対イラク)をドーハ(カタール)で行っていました。スコアは2-1で日本がリード。勝てば初出場が決まるゲームでしたが、後半ロスタイムにイラクの同点ゴールが決まり万事休す。初出場の夢が目下で崩れ落ち、日本中が大きな悲しみと失望感に包まれました。

その4年後。グループリーグを2位で終えた日本は、もう1つのグループで2位だったイランとプレーオフへ。会場はジョホールバル(マレーシア)。勝った方がW杯への切符を手にする重要な一戦は、スコア2-2のまま延長戦へ。このまま引き分けかと思われた延長後半13分、中田英寿の放ったシュートをキーパーがはじき、そこに詰めていた岡野雅行が決勝ゴール。日本全土が歓喜に揺れた瞬間でした。

W杯における日本のこれまでの最高成績はベスト16。このブラジル大会で日本中が再び“歓喜”に包まれることを期待してしまいます。